音楽と物語

ずいぶん前のことになってしまうのですが、この記事で書こうとしていることを最初に考えたのは、ニコニコ動画VOCALOIDを使った曲を公開しているVOCALOIDプロデューサーの一人、ジミーサムP(ニコニコ動画の外ではOneRoomというアーティスト名を使用しています)のこの曲を聴いたときです。もし時間があったら、まずは聴いてみてください。
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この曲を聴いてみてどう思ったでしょうか。ふうん、いい曲じゃないかという人もいるでしょうし、あんまり好きじゃないなあという人もいると思います。

ただ、僕はこの曲を聴いたとき、自分でもびっくりするくらい心が揺れ動くのを感じました。そして、なぜ自分はこんな感情を覚えているんだろうと考えました。整理してみると、これには以下のような事情があります。

僕は元々ニコニコ動画に入り浸っていて(いわゆるニコ厨です)、VOCALOIDを使って作られた楽曲を聴くのが好きでした。その中でもジミーサムPの曲がとても好きで、よく聴いていました。最初に聴いたのがどの曲か、よく憶えていないのですが、確かMikuMikuDance関連の動画をあさっていて、SceneのPVに当たって、なんじゃこりゃと思ったのが最初だったと思います。
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ジミーサムPはその後も素晴らしい曲をたくさん発表し、2009年の7月には、Toy Boxというアルバムもリリースしました。このアルバムはオリコン週間総合21位を達成し、Amazonのカスタマレビューを見てもわかるとおり、高い評価を受けています。

しかしアルバムを出したあと、かなり長い間新曲の投稿が途切れることになりました。ジミーサムPの動画に集まる人たちの中では、もしかしたらアルバムの評価が高かったことで逆にプレッシャーになってしまったのではないか、もう新曲は投稿されないのではないか…と心配する人も出てきました。実際、ニコニコ動画で音楽を発表している人たちの中には、そんなふうに姿を消してしまう人もいるのです。

そんな中、数カ月ぶりに投稿されたのが、上記のNo Logicです。

大体それで良いんじゃないの 適当だって良いんじゃないの
少し不安残したほうが 楽しく生きられるんじゃないの

http://dic.nicovideo.jp/v/sm8228650#h2-2

歌い出しの歌詞だけを見ると、適当に楽しくやっていけたらいいんじゃないですか、という気楽な内容に見えます。しかし、ジミーサムPが適当とは程遠い仕事をする人であることは、ファンはよく知っています。何しろ、ジミーサムPのファーストアルバムであるToy Boxでは、既に投稿された曲のVOCALOIDの歌を全て修正し直しているのですから。新曲も収録されていますし、投稿されたものをそのまま収録しても誰も文句は言わなかったはずです。

単に気楽な人なら、思い悩むこともないでしょう。もっと完璧にしたいのにできないという苦しみを知っているからこそ、このような楽曲を作ることができるのではないでしょうか。

ジミーサムPは動画のコメントをよく見ていますから、ファンが心配していることは知っていたと思います。おそらくNo Logicには、何が自分らしいのかはまだわからなくて、苦しいこともあるけど、これからも自分のペースで音楽を続けていきますよ、というメッセージが込められていたのではないでしょうか。

これはあくまで僕の妄想であって、ジミーサムPはNo Logicが制作された経緯についていかなる説明もしていません。だけど、彼がファンの声を受け止めて、それに応える曲を作ってくれたという考えは、僕の心を揺れ動かしました。そこにはたぶん、物語があったのだと思います。

考えてみると、僕が一番に音楽を聞いていたのは高校生のときで、当時の僕はミュージックスクエアというNHK-FMの音楽番組の熱心なリスナーでした。パーソナリティは中村貴子さんという方で、明るく楽しい語りですが、時々自分の好きなバンドや音楽のことを熱心に語るのが印象的でした。

例えば中村貴子さんはSpitzがブレイクする前から好きで、ロビンソン以前は曲が出るたびに「今度はいける!」と思うのですがなぜか売れず、ロビンソンでようやくブレークした、という話をしていました。そんな感じで番組ではロビンソン以前の曲、「青い車」や「スパイダー」、「裸のままで」もよく流れており、僕はCDを買う前に曲を覚えてしまっていたくらいでした。

自分の好きなバンドの曲が売れて、メディアに取り上げられて嬉しい、という経験は、多くの人にもあるのではないかと思います。Spitzの楽曲が素晴らしいのはもちろんですが、僕は当時、中村貴子さんが語ってくれるような、音楽にまつわる物語に惹かれていたように思います。

音楽を楽しむ上で、それにまつわる物語を楽しむ、というのはかなり大きな比重を占めるのではないでしょうか。そして、インターネットが普及して情報の広がり方が変わったことによって、従来のテレビやラジオを主体として提供される物語だけでは、ファンを満足させることが難しくなっているのではないかと思います。その代わりに、ニコニコ動画を通じて提供される曲とその物語が確実に人々の心を掴み始めています。

例えばカラオケJoySoundの週間総合ランキングを見ていただくとわかるのですが、トップ10の半分以上がいわゆるVOCALOID曲になっています。この傾向はかなり長い期間続いていて、若年層へ浸透していることがよくわかります。

ニコニコ動画に投稿される曲は、特徴的な広がり方をします。VOCALOIDが歌う曲が投稿され、人気が出ると、それを「歌ってみた」動画が投稿されます。そして、ギターやドラムのパートを演奏する「演奏してみた」動画を投稿したり、その曲を用いたPVを作成したり、アレンジ・リミックスを投稿する人も出てきます。さらにその上でコメントによるユーザ同士の交流が行われます。その流れは全く制御不能・予測不能です。また、VOCALOIDプロデューサーの中には、ニコニコ生放送でファンと直接交流を持つ人達もいます。この流れに慣れてしまうと、既存マスコミや音楽レーベルが作り出す物語は、どうしても色あせてしまいます。

CDが売れなくなったと言われ続けて久しいですが、少なくとも僕は、以前よりずっと、まるで高校生のときのように、音楽を楽しむようになりました。この流れがどうなっていくのか、正直わかりません。ニコニコ動画を中心とした音楽の広がりは、GDPには全く寄与しない、従来とは異なる活動であり、おそらくニコニコ動画の運営にも制御できないでしょう。もしかしたら音楽は、マスコミというものができる以前の、アーティストと聴く人がもっと身近だった時代に戻っていくのかもしれません。

最後に、ジミーサムPの曲を一つ紹介して終わりにしたいと思います。この曲はVOCALOIDを使った曲ではなく、公式には歌詞すらありませんが、多くの人に愛されています。僕はこの曲が、ジミーサムPの音楽に対する考え方を象徴しているような気がして、とても好きです。「No Music, No Life」をどうぞ。
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